事務所名「おかげさま」の由来

なぜ「おかげさま」なのか、とよく質問を受けますが、事務所設立のきっかけとなった

ヘルプマン!

を読んだ直後に、この言葉を事務所名としよう、と自然とひらめきました。

このようにひらめきから決めましたので、改めて理由を問われると難しいのですが、今振り返ってみますと、ひらがなで親しみやすい、変わっていて覚えやすいといったメリット以外にも、次のようなことがあったと思います。

介護の扉を開くキーワード

「おかげさま」という言葉は、何より高齢者の方がよく使うものでした。この言葉は、介護業界の扉を開くキーワードだったのです。
そのことを最初に確信したのが、ある施設を訪問して、車椅子を押すヘルパーに「お加減いかがですか」と聞かれ「ええ、おかげさまで」とお婆さんが答えたのを耳にしたときでした。

それ以外にもよく施設では耳にしたし、相談中にもよく出てくる言葉だったのです。「やっぱりお年寄りの共通語だったんだ」と実感しました。

さりげなく感謝の念を伝えるために、主語を省略し、かつ「様」をつけることで今度は逆にわざと大袈裟なイメージを創出し、ある意味「茶化す」ことで場の雰囲気を和らげようとしている。
挨拶としての「おかげさま」には、そんな先人の意図が感じられます。しかしそういった昔ながらの知恵は、現代において正に危機に瀕していると言わざるを得ません。

ちなみに「午前様」という言葉にも同様の思考過程を感じるのは私だけでしょうか。
飲み会で夜明けに帰宅した亭主に向かって「夕べも午前様ですか」等と妻がチクリと刺す場面などが想像されますが、帰宅が遅れたことを単に責めるだけでなく、「様」を付けて敢えて大仰に持ち上げることで、逆にそれほど大したことでは無いというニュアンスを伝えようとしているように、私には感じられるのです。
これが「あなたは夕べも帰宅した時刻が午前零時を経過していた。」と単に事実を描写するだけでは、身もふたも無くなってしまいますよね。

結局私は、「おかげさま」という言葉を世の中に広めたいのです。必ずしもこの言葉でなくとも構わないのですが、先代の生きる知恵の結晶であるこの言葉を、お年寄りだけのものにしておくのはもったいない。

特に若い世代の人に、「おかげさま」と言うことで些細なことでも感謝する癖を身に付けてほしい。そして不毛な争いの無い、誰もが住みやすい世の中になってほしい。

僭越ながらそんな思いで、この言葉を事務所名として掲げています。

最近の若者言葉は・・・?

逆に「おかげさま」は、若い人程使わない言葉といえるかもしれません。代替する表現も、「若者言葉」からはあまり見つかりませんね。

いわゆる若者言葉の中には、確かに合理的理由があったり上手く複雑な感情を表現しているものもありますが、「うざい」「超」「ヤバい」など、いたずらに物事を誇張したり、ネガティブな方向のものがどうしても目につくように思えます。

感謝したり、謙虚になるような言葉がそもそもないのです。ということは、若い人ほど感謝しない、といえるのかもしれません。言葉が思考を司り、行動を定義付けるものです。

不思議な言葉「おかげさま」

おかげさま

「おかげさま」とはよくよく考えてみればおかしな言葉であって、そもそも「誰の」お蔭なのかが特定されなくても、単なる挨拶としても使える言葉です。その場合には、一見感謝しているようで、実は具体的に誰かに感謝しているわけではないのです。だからこそ「取り敢えずの挨拶」になり得るのでしょう。

さりげなく感謝の念を伝えるために、主語を省略し、かつ「様」をつけることで今度は逆にわざと大袈裟なイメージを創出し、ある意味「茶化す」ことで場の雰囲気を和らげようとしている。
挨拶としての「おかげさま」には、そんな先人の意図が感じられます。しかしそういった昔ながらの知恵は、現代において正に危機に瀕していると言わざるを得ません。

ちなみに「午前様」という言葉にも同様の思考過程を感じるのは私だけでしょうか。
飲み会で夜明けに帰宅した亭主に向かって「夕べも午前様ですか」等と妻がチクリと刺す場面などが想像されますが、帰宅が遅れたことを単に責めるだけでなく、「様」を付けて敢えて大仰に持ち上げることで、逆にそれほど大したことでは無いというニュアンスを伝えようとしているように、私には感じられるのです。
これが「あなたは夕べも帰宅した時刻が午前零時を経過していた。」と単に事実を描写するだけでは、身もふたも無くなってしまいますよね。

結局私は、「おかげさま」という言葉を世の中に広めたいのです。必ずしもこの言葉でなくとも構わないのですが、先代の生きる知恵の結晶であるこの言葉を、お年寄りだけのものにしておくのはもったいない。

特に若い世代の人に、「おかげさま」と言うことで些細なことでも感謝する癖を身に付けてほしい。そして不毛な争いの無い、誰もが住みやすい世の中になってほしい。

僭越ながらそんな思いで、この言葉を事務所名として掲げています。