おかげさま 代表弁護士 外岡 潤 (第二東京弁護士会所属)

昭和55年 札幌に生まれる。生後3年ほどで東京へ(その後は東京文京区育ち)
平成11年 東京大学文科Ⅰ類入学
平成15年 東京大学法学部卒業
平成17年 司法試験(旧)合格。実務修習地は札幌でした。
平成19年 弁護士登録(第二東京弁護士会)ブレークモア法律事務所 入所
平成21年 城山総合法律事務所 入所
4月1日より、法律事務所おかげさま 開設
平成24年4月 一般社団法人介護トラブル調整センター(てるかいご)を設立、同法人理事長に就任。(※現在同法人は閉鎖しました)
平成29年11月 レクリエーション介護士2級 取得

平成29年11月 レクリエーション介護士2級 取得 / 第二東京弁護士会所属(会員番号36107)/ 高齢者遺言信託部会 所属
平成21年8月 ホームヘルパー2級取得(ハクビ)
平成21年10月 視覚障害者移動介護従業者(視覚ガイドヘルパー)取得(三幸福祉カレッジ)
平成22年11月1日 社会福祉法人恩賜財団東京都同胞援護会 苦情解決第三者委員 就任
平成24年2月 財団法人介護労働安定センター 雇用管理コンサルタント 就任
セミナー・講演などで専門的な話を分かりやすく、楽しく説明することが得意。特に介護トラブルの回避に関するセミナーは独自の経験と論理に基づいており定評がある。トラブルを対話によって平和的に解決する技術「メディエーション」を研究、トラブル解決の原理原則としている。
平成29年11月 レクリエーション介護士2級取得
令和5年8月 保育士試験合格

こんな人間です

法律事務所おかげさま

自分でいうのもお恥ずかしいのですが、やはり弁護士を志しただけあって、正義感は人一倍強いと自負しています。

曲ったことはしたくないですし、フェアでないと思ったら目上の人にも臆せずもの申してしまいます。権力に虐げられて苦しんでいる人がいれば、放っておけない性格です。熱血型で、こうと決めたら突き進む行動力がありますが、反面直情径行に陥る危険もあるので、社会人になってからは特に周囲の意見を謙虚に受け入れるよう自戒しております。

心がけていること

理想にはまだ程遠い自分がいうのも口幅ったいのですが、以下の諸点を忘れないよう毎日心がけています。

  • 謙虚であること
  • 感謝すること
  • 偏見を持たないこと
  • 律儀であること

大方このような人間です。まだまだ未熟者ですが、日々研鑽して参りますので、どうぞ宜しくお願い致します。

予防法務に精通した、「和の弁護士」を目指します。

当事務所は平成21年4月、日本初の「介護・福祉系」を標榜する法律事務所として発足致しました。
開業以来、おかげさまで仕事にも恵まれ全国の介護施設、障害者施設を見て回りましたが、それら施設の「介護・福祉の現場」に共通する大切なものが一つあることに気付きました。

それは、「調和の空気」です。介護施設に対して「単なる共同生活の場」という程度の理解しか持っていなかった私にとって、それは驚きの発見であり、強く心を揺さぶられる経験でした。
介護・福祉の世界は、私が思っていた以上に「感謝の心、思いやり、気遣い、労り、協調」といった、最も根源的な人間愛に溢れた世界だったのです。

「ヘルプマン!」という連載漫画(くさか里樹著・講談社)をたまたま読んだことがきっかけで、全く縁も知識もないまま飛び込んだ介護の世界でしたが、現場の空気の温かさ、そして一方で舞台裏での転倒・骨折事故等の、数々の問題の深刻さの両面を知るにつれ、私の中で一つの方向性が固まっていきました。

それは、

ということです。

介護の世界に争い事は似合わない

どんな屈強な敵にも負けない、力強い頼れる弁護士

それが世間一般でイメージされる「よい弁護士」の姿であり、多くの弁護士さんがそのような「たたかう弁護士・負けずに主張する弁護士」を目指しているのかもしれません。

ですが、これは私見に過ぎませんが、少なくとも介護・福祉の世界では、そのような「争い」「闘い」は根本から馴染まず、むしろ忌避される考えなのではないかと思うのです。それは、一重にこの世界の仕事に(語弊があるかもしれませんが)、「弱者を救う」という面があるからではないかと思います。

 

目の前に一人で歩けないお年寄りがよろよろしていたら、思わず体が動いて支えてしまう。「有難う」という心からの感謝の言葉を聞くだけで疲れも吹き飛んでしまう。 そんな、困った人を助けて笑顔になってもらうことが根っから好きな人が、介護という職業を選択しているのではないか。

偏見かもしれませんが、介護の世界に集う人達は、そのような、純粋に人助けが好きで、争いを好まない方が多いのではないかと思うのです。

それは、うがった見方をすれば、「正直者で気が弱いお人好し」などといわれる存在であり、相手に強く出られるとつい従ってしまい、不当な要求に振り回されてしまうという弱点でもあるのかもしれません。

ですが私は、そうした性向は、ともすれば「勝ち組・負け組」を分けたがる殺伐としがちなこの現代社会において、極めて貴重な心の在り方、本来守らなければならない人としての尊い在り方だと思うのです。

本当に必要なことは紛争の「平和的解決」であり「予防」

「正直者は馬鹿をみる」とは世間ではもうお馴染のフレーズですが、本当にそんな世の中でいいのでしょうか。正直で誠実で、周囲との和を尊重して自分は一歩引く様な人は、出し抜かれるだけで結局損をするだけなのでしょうか。

そんなぎすぎすとした世間では、到底人間らしい生活は成り立たないと思います。少なくとも自分は、「人を見たら泥棒と思え」と、四六時中身構えなければならないような社会で暮らしたくはありません。

特にチームワーク・調和が不可欠な介護の世界においては、皆で思いを一つにして目の前の高齢者の為に尽くさなければ、絶対にやっていくことはできないのだろうと思います。

食事を済ませた直後に、「ご飯まだかね」と尋ねる認知症のお年寄りには「はい、お待たせしました」と言いお茶を出す等して落ち着かせ、すかさず他の職員が「散歩に行きましょう」と声を掛け目先を変えさせる。高齢の施設入居者が慣れない環境下で不穏になり、握り拳で向ってきたとしても、慌てずとっさの機転で危険を回避し、時には笑いに繋げてしまい、場の雰囲気を和らげる-

「ヘルプマン!」でも描かれていますが、介護の現場は正に「アート」としか評し様の無い、極めて高度なチームプレイ、コミュニケーション技術の集積だったのです。経験に裏打ちされた、しなやかでクレバーな技術の数々にただ圧倒されました。

その様な介護・福祉の驚くべき調和の世界を知り、私はこの世界には調和を維持するための弁護士として関わっていかなければならないと、改めて決意したのでした。

具体的には、介護の現場で争い事等があれば、極力これを裁判まで持ち込まず、対話による平和的解決を目指すということです。更に推し進めると、契約書の説明や普段からのコミニュケーションを促進することで、誤解の素を無くしトラブルを未然に防止する、いわゆる「予防法務」が一番重要な活動となります。医療の世界でいえば、病気がこじれてから大手術(=裁判)を敢行するよりも、日頃の健康診断(予防法務)で早期に病の芽を摘む方が、余程効率的でその人の心身にも良い、ということがいえるでしょう。

「和風」の「和」は「平和」の和

私がショーなどで和服を着ているのも、偶然の経緯ではありますが、今振り返ってみると不思議な縁、符丁を感じます。

私は学生時代、手品サークルに入り手品を始め、たまたま「和の手品」、「和妻」と出会いました。それ以来いわゆる日本の伝統文化、和の文化に魅了され、また不思議と縁があり、日舞や三味線、茶道等の稽古事を経験してきたのですが、今になってみると私が弁護士になってからも和服を着ているのは、「和の弁護士」たれという、天啓に近い様な意味合いがあったのかもしれません。

現在「和服」「和食」など、「和」という単語には「日本の」という意味がありますが、本来はその文字の成り立ちからして、「調和」「平和」など、いわゆるハーモニーを表す言葉だったそうです。
大昔、日本は強大国である中国から辺境国の一つとみなされ、「倭の国」と呼ばれていました。この「倭」という言葉自体には、諸説あるのですが、「平和」等といった意味合いはありませんでした。それがいつしか、日本人自身が自国を指して「和」という漢字を使うようになったのだそうです。

私は歴史学者では無いのでここで確証を示すことはできませんが、もしこの話が本当だとすれば、私達日本人の祖先は、民族のアイデンティティとして自らの意思により「平和の民」たることを選択し、以って自認したということになります。

少なくとも、日本を表す「和」と、平和、調和の「和」は無関係では無いのです。そうであるならば、畢竟「和服」とは平和の象徴としての衣服とも言い得るのでしょう。

私はこの来歴を初めて聞いたとき、言い様のない衝撃を受け、大変このストーリーが気に入りました。また同時に、改めて古来の祖先に対する畏敬の念を強め、特に現代社会において、このしなやかでありかつ強靭なスピリットを、絶やすことなく次世代に継承していくことの重要性を再認識することができました。以来、単なる日本文化好き・趣味の一環としてではなく、平和の象徴として、その理念を伝える手段として和の文化を認識する様になったのです。

私の知る限りでは、まだまだ介護・福祉の業界に精通した弁護士は、日本には少ない様です。僭越ではありますが、もし私が介護・福祉系専門弁護士のさきがけであるならば、決して紛争を煽る存在になってはならない、まして和の文化を手掛けるのであれば、その本質を我がものとすべく取り組むべきであり、トラブルシューターであるだけでなく、トラブルのpreventer(予防者)でなければならないと思っています。そのような矜持の念と自戒をもって、これからも精進して参ります。